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コンパニオン・アニマルとの適正関係の模索―人間社会の希薄化において― ハル著
 動物の法律は少しずつ進められているが、未だ動物との適正関係は確立できていない。法律は、作ることや罰則を強化することを手段にして、より良い社会を作らなければならない。しかしながら、動物を守るのは人間であり、動物を愛護する気持ちが重要である。


1、日本動物愛護の歩み
 動物を飼育する人が急増しているが、愛護精神が発達していった背景には、折々の残酷な動物虐待の事実があった。日本の動物愛護運動の始まりはおおよそ1900年前後であったと考えられる。1902年に動物虐待防止協会が誕生するが、それ以前は個人による活動が主体であった。


@日本人の愛護精神不足
宣教師による動物愛護思想の展開や、愛犬家が路上で撲殺されている動物を助けることから始まる。主に、欧米から渡ってきた知識人や宗教が中心となり、個人活動を行っていた。徐々に動物愛護というものが市民の道徳観に触れていき、組織的な活動へと始動しだした。1898年から99年にかけて、知識人向けの雑誌である「中央公論」「反省雑誌」「太陽」などに、動物保護、人間による殺生、日本の在り方についての記事が掲載されると、特に知識人の間で論争が起こった。 それが動物虐待防止協会結成のきっかけとなるが、当時の日本人の動物愛護論は道徳的であり、動物擁護の実践ではなく、近代市民としての姿勢のあり方に注目するのみであった。その後、あふれ来る西洋文化に触れ、市民の持つべき道徳観を再構築し、それと重なる国家の政策に注目されることとなる。1901年7月31日には、農商務大臣によって「動物保護に関する件」と題する訓令が発布され、使役牛馬の労働時間などの制限を求めた。つまり、政府の保護対象は牛馬のみであり、開拓が盛んな時期に農業労働の主力である牛馬が注目された結果である。物資輸送の主要な担い手である牛馬の保護は、その働きの向上のため実施された。これによって道府県警察の取締りが行われ、行政、議会、警察への制度改良要求がなされた。それらの機関への改善要求が重点とされる中で、1914年に動物愛護団体である日本人道会が発足し、資料などを積極的に作成することで、実証性のある活動を行っていく。主に在留欧米人や留学経験者が幹部であったことから、1983年国内で反英米運動が起こったことが影響し、欧米人主導であった動物愛護運動は衰退化していった。加え、戦争に巻き込まれ、動物愛護運動は滞ることとなる。


A愛護活動の実績
 戦後は、日本人道会の資金が記念建設費に当てられ、この団体は閉会してしまうが、戦後の動物愛護活動は他の様々な団体や組織、個人活動によって行われることになる。内容は、1全国数箇所の保健所は半端ない数の動物が収容されていること、2野良犬を虐待する傾向が社会一般に見られること、3生体実験での実験動物があまりにも残酷な状況で行なわれていることに注目した。状況を取材した英国人記者が国内外に報道したことが大きな影響を与えた。ヨーロッパ諸国や米国に伝わったことで、次第に日本への非難が高まり、日本人が自身知らなかった実情に目を向けることになった。英国の新聞では、日本の倫理観や道徳観に強く不信感を示した。日本は動物虐待国であり、殺処分は残虐である、この件が英国を始め、先進国との友好関係の維持促進の阻害要因となるとし、国内外にその検討と理解を求めた。これによって初めて日本政府が動物愛護という言葉を使うようになり、法律の作成に取り掛かった。
それらの外圧により、1973年「動物の保護及び管理に関する法律」が成立する。それ以前にあった様々な条例や規則はほとんど動物の行動を一方的に規制するもので、犬は危険なものであり、公の場にみだりに連れ出さず、ほえる犬の声帯は取り、噛む犬の牙は取るなど、犬そのものの生態を無視したものであった。動物保護法は、人間のモラルと問う内容で、それを後援する団体としてJSPCA(Japan Society for the Prevention of Cruelty to Animals)が戦後早々活動を開始する。当初、日本動物虐待防止協会と称し、形式上、1984年「平和日本再建の緊急事業として、日本・イギリス・アメリカなど有志代表協力」として発足し、現在では日本動物愛護協会となる。
この団体では、都内大学病院や研究所の生態動物の現状調査を行い、状況が不潔で乱雑であり、血、排泄物、死体が入り混じり異臭がするという残忍な実情を明らかにした。死体のほとんどに実験手術が施されており、その後放置されている状況が明らかであった。小屋は雨ざらしで、環境は劣悪なものであることがわかる。在留英国人を中心に、私財による備品の寄付や犬の世話を自主的に行い、その活動は医師や研究員の反感を買いつつも、動物愛護精神が根付くための一歩であった。
 
2、動物愛護活団体と展望
 そもそもイギリスは非営利団体から始まった。日本でどのような取り組みは行われているのか、また動物愛護精神を根付かせることが出来るのかを検討する。


@中傷される動物愛護の実情
身近な犬や猫は、転移や過剰繁殖などによる放置が続き、結局居場所がなくなる場合がある。その際、動物愛護団体がその動物を引取ることもある。
例えば、千葉県で動物愛護活動を行っているH氏は、1988年に独力で「●●●●(伏せ字にしました_注・kanako)」を設立し、500頭の犬を世話している。元はサラリーマンだったが、片手までの世話が困難だったため、専業になり、様々にキャンペーン活動を行っている。しかし、非難中傷は絶えず、近所からの苦情も寄せられる。一人の人間で世話をする限度を超えており、犬の管理状況は悪く、避妊去勢手術もままならないという問題が発生する。
板橋区で捨てられていた犬6頭、猫25匹の世話をするT氏は、里親探しなどの活動を行い、「●●●●(伏せ字にしました_注・kanako)」を設立した。彼女はマスコミに取り上げられることもあったが、それに対する非難の声も上がった。それは、動物愛護活動をしているのは、彼女一人ではなく、周りにはもっと大変な思いをして活動をしている人もおり、その人たちはマスコミに知られぬよう策動し、宣伝をしないだけであって、彼女の活動は自己顕示欲の旺盛な動物好き、愛犬家であって、動物愛護者でないと批判していた。しかしながら、多くの動物たちを世話することは、自分の管理下に動物を置き、責任能力まで問われる大変な行為であり、売名目的だけではとても無理だと思われる。批判する人の真意は不明確だが、日本では度量の狭い批判が横行する傾向にある。
 イギリスの動物愛護団体の歴史から見ても、こういう一人一人が動物福祉を考えて始めた行動が、次第に周囲の理解や援助を生み、大きな運動や団体に広がったことが多い。RSPCAのように、資金がなく規模が小さい段階から、善意の人間が集結し理解を生むことで、動物愛護運動の活性化が図られていった。ところが、日本での動物保護、動物愛護運動は、こうした善意がうまく育たず、いわれなき非難や中傷が先行してしまう歴史がある。その活動が責任のないものであるため、周囲に迷惑をかける場合も少なくなく、ただの自己満足に終わるケースもある。


A理想的な動物愛護活動
しかし、責任をもって活動する動物愛護もあり、その場合も周囲の度量の狭さが運動の発展を妨げる。どの国でもある程度見られる傾向ではあるが、日本の場合、主義主張の重点の置き方が異なり、組織を分散させる理由となる。動物愛護運動は、社団法人、財団法人、個人運営や専業、ボランティアなど様々な形態で行われているため、主義主張の相違はある程度認められる。しかし、お互いの欠点や主義主張を貶しあい、論争を繰り返すだけで、肝心の動物たちに何の利益ももたらさない。
以前に週刊新潮が、日本動物福祉協会は年間一万頭もの犬を殺してきたという記事が掲載され、実際の活動のリフォーミングなどの実績は触れられることはなかった。他団体はそれに関して、自分のところではどんなことがあっても引取った犬を殺したりしないのに、貴団体ではそれを行い、それでも動物愛護団体と呼べるのかと強く批判することがあった。つまり、同じ「愛護団体」であるのに、方針や行為には違いが生じ、お互いの意思を認めることが出来ないでいる。大きな組織には機会があれば会合が行われるが、すべての団体組織が、一堂に会する会合が望まれる。そのような会合でも、歩み寄るどころか余計に理論武装して、客観的に支持される事柄、格言を引用して自分の正当性を主張し、他を排除する思惑が錯綜している。
本来は、動物虐待者や社会が矛先となるべきで、すべての団体が少しでも多くの共通点を認め、協力し合う体制が不可欠となる。しかし日本のやっていることはそうではない。1948年に動物愛護団体である日本動物愛護協会が設立され、現在は財団法人であるが、当時この団体では、付属の動物病院を所有し、小動物を中心として医療活動を行っていた。主旨は、低所得の人たちに、高度医療を低料金で運営するもので、RSPCAのやり方と同様のものであった。高技術、低料金であり、また動物病院は自由診療なので、診療費は独自決断であったため、全国から患者が殺到した。しかし、近所の個人動物病院からは患者が減り、生活が出来ないという苦情が多く寄せられ、結局貴団体の病院運営は断念される結果となった。現在でも日本動物愛護協会は、日本を代表する動物愛護団体であり、今日の業務は、動物愛護思想の啓蒙普及活動を中心としている。
 理想的な動物愛護思想は、一人で突き進めるものではない。経済効果や社会的側面から見ても、多くの団体、組織、個人、社会が理解し、協力することが不可欠である。これが日本に動物愛護精神が根付かない理由の一つであり、その結束が望まれる。
 
3、日本の問題点
@行政の役割の明確化
イギリスやアメリカの代表的な動物愛護団体では、動物保護監視員を有し、動物保護法に基づき動物虐待の監視、啓発が行われている。
特にイギリスの場合、動物虐待防止法を活用し、RSPCAや他各種団体が法律の執行に携わっている。専従の査察官が虐待を受けている動物を発見した際には、救護施設で保護し、虐待者を告発し裁判にかける流れがある。専用のパトカーや一部銃の携帯を許可し、動物虐待に対して警察に準じる法的強制権を有している。日本ではそのような具体的執行方法がない。そのため、現実に起こっている動物虐待の監視、告発活動が十分でなく、動物を保護する実効性が乏しい。
伴侶動物に関する行政が一元化していないことを背景に、その根拠となる法律、資金、人員がない。管轄は、厚生省、農林水産省、総理府などであり、役割によって分別されている。厚生省は、伝染病や人間に被害をもたらす病気、抑留拘留された動物の発表などを受け持つ。農林水産省は、それらに加え犬の輸出入検疫や獣医師に関する事務などを管轄し、総理府は、動物愛護法や抑留拘留された動物の発表を管轄する。文部省では、天然記念物に指定されている犬の維持と育成、警察庁と公安委員会では、警察犬、盲導犬、麻薬犬の認定などが行われる。動物にかかわる行政は、権限が各所に分散していることから、動物が社会に浸透しつつあるにも関わらず、対応の遅れが懸念される。
情報の混乱や問題発生時の責任の擦り付け合いが起こり、問題が発生した際、許可を取るのに、紙面上の手間がかかる。イギリスでは、ホームオフィス(内務省)が掌握し、円滑に対応を行っている。 日本でいますぐ一つの機関が担当になるのは不可能だが、せめて役割が重複しないよう、それぞれの機関の役割を明確化し、実行力のある機関に変えていく必要がある。動物愛護精神の植付けのための体制が整っておらず、社会にも精通する構造が求められる。
努力を重ね今のイギリスを作ったのは並々ならぬ努力であるが、先人の跡を追い、模倣して同じようなレベルに達するのはそれより簡単である。日本では動物の命に対しての意識が低く、市民、行政共に、活動に活発でない。そして動物愛護相談センターと呼ばれる日本の施設を含み、動物を愛護しているどころか大きな取り組みが行われていないのが現状である。
 
A日本の資金不足
また今の日本には、資金不足の問題がある。RSPCAの年間予算と比較すると、約3000万ポンド、おおよそ51億円に対し、日本動物愛護協会は9000万円と格段に少ない。イギリスの場合、動物愛護団体への寄付は無税扱いであり、収入の約6割が遺産による寄付だという。 日本では、信頼を得ている動物愛護団体が少なく、資金繰りは一般から見て不透明であるため、資金確保が困難である。 そこからも動物愛護精神が根付かない体制構築不足が読み取れる。
また、国や地方の税金は、人件費ではなく、事業費に使われるべきという声も高い。行政の簡略化をはかり、許認可業務をできるだけ減らすべきと意見も多く、監視員などを増やすのは時代の流れに逆行しているともいえる。しかし、法律や体制を推進するためには多くの人員が必要であり、動物の生命を尊重した体制作りは今の時代には確実に根付けなければならない。それに関する初期段階の開発さえされていない動物のためには、整備も必要であるし、識見ある人間を雇用するべきである。人間生活の好条件はすでに用意され、整えられている。今度は動物の環境を良好にするための投資が必要となるであろう。
今日、動物啓蒙普及活動や愛護精神を植付けさせることは不可欠であるが、それだけでは不十分だと考える。それに伴って、すべての社会動物を愛護するため、虐待監視、告発体制の確立が構造に取り込まれなければならない。残酷な虐待のみに留まらず、ネグレクトに関しても同様であり、行く末の動物愛護施設の健全な活動も求められる。リフォーミングの徹底化とそれに伴う整備の徹底を行い、環境整理が目指される。イギリスのリフォーミングは、社会の犬32%、猫40%がそれによるものであり、ただの処分を行い続ける日本とは雲泥の差を感じる。日本でも、里親を増やす努力と、殺処分される動物を減らす対策を講じ、動物に対するブランド意識の撤廃を考えるべきである。動物愛護法が改正されたとはいえ、内容、運用は具体的ではない。動物に対する日本人の考え方や対策に実効的な革命をもたらすべきである。そこからもまた新しく動物愛護精神を根付けさせえることが出来ると分析する。


4、動物増加社会の在り方

@地域情況と改善手段
近年、伴侶動物が飼い主の生活に潤いを与え、情操を養い、人の心身の健康に役立つ動物であることが注目されつつある。しかし同時に私たちと同じ社会で共同生活を営む社会の一員であり、権利にも限界はある。 その権利は社会に迷惑をかけない程度で許されるものであり、近隣に迷惑をかけるようならば、その飼い主は隣人に対して迷惑をかけないような措置を行う義務がある。
近隣で飼われている犬や猫などの伴侶動物に対しての被害についてアンケートを目黒区で行ったところ、糞や尿に関するものが38%、鳴き声に関するものが25%、 ゴミを荒らすことに関するものが21%という結果になった。 また平成12年に全国で行ったアンケートでは飼い主のマナーに関するものが58.1%、猫の糞尿に関するものが40.9%、鳴き声に関するものが36.1%の結果が出た。(複数回答) 糞や尿については、悪臭や細菌を繁殖させる原因となっており、たびたび指摘されていて、公衆衛生面でも問題となって取り上げられる。猫に関しては、放し飼いが可能なことと登録制度がないことから野良猫が多発し、捨て猫もあとをたたない。 野良猫同士が接触を持てば、感知できないところで野良猫は増加し、不衛生な環境に放置されることになる。
猫は徘徊することが自由であるため、衛生面での深刻な問題になっている。悪い印象を地域に与えるほど、動物嫌いになる人は増える。


↑表5−1 ペット飼育の好き嫌いに関するアンケート


↑表5−2 集合住宅におけるペットの飼育
両図とも、平成12年 内閣総理大臣官房広報室より


図からも読み取れるように、動物の好き嫌いに関しては、68%の人は動物が好きと答えている。動物の所有者が糞の始末を始め、責任のある行動、ルールを守れば、更に動物愛護精神が高まると予想される。集合住宅における伴侶動物の飼育に関しては、一定のルールを守れば飼ってもいいという答えが57.5%で、客観的に見ても多くの人が動物と社会生活を送ることには賛成となる。
しかし、マンションや集合住宅では動物に関する苦情が多く、集団生活を営む上で動物との共存は難しい。 とはいえ、ペット同伴可能なマンションは以前1%程度であったが、もはや半数以上の新築マンションはそれを可能にし、入居者にとっての条件に伴侶動物の飼育の有無が求められている。そこで模範的な飼い主が増えれば動物を苦手と感じている人も意識を変えることが出来ると推察する。 そこからは更に社会全体の意識が向上することが期待できる。
現代社会での人間は、様々な理由によって動物を飼い、様々な考えを持って育て、それぞれの家庭で共同生活をしている。その中で、ただ甘やかし可愛がるだけでは、人間社会にトラブルを引き起こす原因となり 、動物を安易に飼育することは地域問題にまで発展する。人間には人間の倫理、生き方があり、動物には動物の倫理や生き方がある。そして社会には動物嫌いな人間も存在し、飼い主個人の飼い方が問われる。動物が苦手な人に迷惑をかけず、人間に攻撃的な行動をさせないよう躾を徹底しなければならない。日本では動物を飼う人が増加する一方で、動物で起こる被害が注目されている。都市部の区役所、市役所、保健所には、多くの苦情が寄せられ、犬が人を襲う事例、器物破損や排泄物処理などが発生している。しかしこれは飼い主の躾や意識で未然に防げる部分も多く、改善方法は多分にある。動物に対する知識不足、理解不足は、社会での問題になりかねない上、家族や近隣と向き合う上で障害になる。その理解を深めることと躾は、動物が素晴らしい伴侶だと認識されるためにも不可欠である。社会の一員であることと両者の共生、適正関係の構築のため、飼い主がより意識を高め、行動することが求められる。


A動物愛護のための工夫
動物を飼育するとなると、人間は、動物と地域に対して責任がある。動物を健康に育て、地域に貢献できるように育てるべきである。前述のように、躾は特に重要であり、今は家庭犬の訓練士も仕事になっている。躾をする際には、食事を与えることが大きな役割を果たし、加えて伴侶動物が食事をすることは飼い主にとって喜びであり、安心材料の一つである。
今日では、人間の食事与えるということは少なく、伴侶動物の延命化のため、食事はペットフードが主軸となっている。それはペットフード産業の発展にも繋がり、消費者の購買意欲をそそるため、人間の食べ物より適正だということをアピールしている。動物が好む食事も充実しており、躾をする上で食餌は重要な要素となる。躾が不十分な動物が増えれば、社会的に好印象を与えることは出来ず、躾が出来ている動物が増えれば、社会の体制や視線をより動物に向けることが可能である。世界保健機関の1980年代報道では「きちんと世話の行き届いたコンパニオン・アニマルは、安全で飼い主と人間社会に計り知れない恩恵をもたらす」と発表し、その重要性を示している。
また動物を嫌いな人や苦手な人もいる。苦手意識は、子供の頃から動物に触れ合うことでも解消されるとして研究が進んでいるが、イギリスでは幼いうちから動物に関する理解を求め、教育を行っている。教育の場での指導や、動物愛護団体による定期的な教育を実施しており、法律を含んだ動物の重要性を教育している。 そこから動物の命の大切さを学び取り、罰則を聞くことで子供の頃から動物虐待の恐ろしさを伝えている。
また、ケンブリッジ大学のエリザベス・パウル氏によると、動物を飼ったことのある経験者は、人間に対するような触れ合いが動物とも出来、人間に対しても感情的に同情心や共感の度合いが深いという。研究は始まったばかりというが、動物虐待者の発生を未然に防ぐための対策にもなり得るとして衆目されている。
現在、日本の動物虐待者検挙率は低く、その内容は動物虐待者が少ないのではなく、実態を収拾する技量がないためと分析できる。それは、何が虐待であるかの定義が薄く、躾との境界線やネグレクトの考え方に深みが必要となってくる。しかしながら、伴侶動物を地域に浸透させることで、地域住民が動物に触れ合う機会が増える。苦手意識をなくすために、飼い主が躾と交流を重要と考えることが大切である。


5、拡大し続けるペット産業
@動物種の流行・ブランド意識
 伴侶動物は飼い主の飼育能力と愛情で育つ。そのことが、良くも悪くも伴侶動物の一生を決めることとなる。
人間はその動物を選ぶことから始まる。動物の種類には、その時代にある流行が発生し、現代社会のブランド志向が時に問題を生む。モノの流行はいつでも存在するが、じきに廃れていくものが多い。今まで流行った動物はなぜ流行となり、廃れていったのかを検討する。例えば、平成初期にシベリアンハスキーがブームとなった。 漫画の「動物のお医者さん」「南極物語」の影響があり、大きな体つきが人気であった。ハスキー犬種は、シベリア地方でそり引き犬としての役割を持っており、日本の一般家庭では飼いづらい犬種といえる。成長すれば運動量、食事量が必要となり、体力は最初の予想より遥かに強いものとなる。結局、飼育困難である犬種だとわかり、飼ってみてからそれに気づく飼い主が多く出た。
次に流行したのはゴールデンレトリバーで、盲導犬として知られるようになってブームが到来した。愛くるしい顔立ちで人気が出たが、イギリス生まれの大型犬である。大型犬は、飼い主にある程度の体力がないと、アルファシンドロームを起こしたり、動物の体力についていくことが出来なくなる。それが飼いづらい原因になったのか、小型犬ブームも到来し、徐々に捨てられ処分されていく立場となった。
小型犬ブームからダックスフンドやコーギーが流行し、ペットショップの犬用ケージには必ずこの犬種がいる状態が続いた。最近の流行でいえば、CMで人気を集めたクーちゃんによってチワワがブームとなって、小型犬で飼いやすいことが更なる注目を集めた。
流行は犬だけではなく、小動物にもある。常に下火のように人気がある兎は、散歩の心配がなく鳴き声がうるさくない。しかし、寿命が10年ほどで5000円程度で買えその飼いやすさが逆に捨てる数を増やす要因にもなっている。誰でも飼えることは誰でも責任を持つことと繋がっている。逆に高い値段で人気なのは、ハリーポッターの影響によったフクロウである。生産情報が少なく、気軽に飼えた動物ではないのに、気軽に購入してしまう場合もある。鼠やひよこなどを餌として確保せねばならず、犬や猫より飼育が難しい。長期間の飼育が出来ない人は、無知に山へ放してしまうこともあると確認されている。このような無責任な態度は、生態系の破壊にもつながり問題となっている。
動物はそれぞれに個性を持っているので、それを理解し、飼いたい気持ちを総合的に世話できるかと照らし合わせ、飼いづらい種を飼養するのであれば自分の生活リズムを確保しつつ十分思案しなければならない。しかし、流行というのは一時の感情に流されやすいため、命あるものを飼養するには不適当である。流行にのっとりたい飼育者と客観的に分析する立場では意見が異なるものの、動物を愛する気持ちをもって、動物をよく理解し、愛情を保持しなければならないと考える。それでも流行に乗って動物を飼う理由は、流行に乗りたいことに加え、流行の動物が一番可愛く見えてしまうからである。
前述のように、日本では様々な動物が流行り廃れていった経過を持つ。動物の種類を見極められなかった飼い主は、最後まで飼養することが出来ず捨てることもある。また、ペットブームによる意図的な異常繁殖によって、病気になりがちな動物やか弱い動物を生み、需要による大量生産は欠陥ある動物を出す結果にもなっている。流行且つブランド志向から派生するブームでは、不幸になる動物は増加の一途をたどる。一度飼ったらその動物の生涯を背負うことになる訳だが、その意識は薄い。動物のブランドに左右される人間、動物というブランドしか見ない人間は、動物の人生を左右する存在になることを念頭に置くべきである。
 前述のように、ペットブームについてはいくつかの問題が発生している。その犬種はブームによって変化するため、産業はその需要に答えつつ、生産を行うことになる。
ここ数年、都市部では小型犬が人気であり、代表的な犬種は、ちわわ、ミニチュアダックスフンドなどがある。ちわわでその過程を辿ると、CMの影響で注目され、消費者の購買意欲が増していく。そもそも人気犬種はブリーダーが流行乗せているわけではない。主に、TVやCMのような情報から取り入れることや、公園で連れている犬種を見るところから、流行を確認する。つまり、ニーズが発生してから、ブリーダーが生産を行う場合が多い。しかし、ニーズを確認してからでは、大量生産することが出来ず、実際、一時はちわわがショーウィンドウから姿を消し、生産待ちがかかる状態となった。そこで、にわかブリーダーが、人気と商品不足につけこんで、増殖を早急に行う傾向がある。しかしその増殖は、儲け目的であり、生産や育成が至急なので、欠陥を持った子供が生まれることがある。遺伝的な欠陥や免疫の低い子犬が出回ることになるが、その確認に関して明らかなる欠陥でない限り素人は気づかず、早死にしてしまう。
 また、新種改良においても似通った問題が起こる。小型犬ブームにあやかって新犬種の開発が進み、ティーカッププードルが誕生した。これは、トイプードルの中から特に小さい種類を交配させて生まれた犬種で、匂いや抜け毛が少なく、成犬になっても体重は約1.5キロと、かなり小さいのが特徴である。しかし、ジャパンケンネルカレッジは、本来犬が持っている獲物獲得の運動能力が弱まり骨格などが貧弱になっている、と指摘している。 人間の身勝手に合わせた動物の交配は、その動物の健康を損ねる危険性があることを示唆している。


Aペット産業を観る
適正な社会を作るためには、産業に役割を持たせることが必要になっている。産業は、動物を増殖させ、管理することに留まらす、流行を助長させている。関連した用品を提供する目的もあるが、規模が拡大していくにつれ、課題も多くなってきた。産業の発展と共に、動物の生体に関わる分野だからこそ、強い規制が必要であることを理解しなければならない。動物と関わることが必然であるため、ペット産業は理想的共存社会を作る要となるであろう。
ペット産業にも様々な分野がある。今では、動物の販売やペットフード の製造のみでなく、ペット服の販売やトレーニングなどにまで、広がりを見せている。業種は小売が85%と最も多く、次いで繁殖が53,9%、卸売りが44,3%である。中でも動物取扱業者は、動物の生体を預かっているので、重要な部分といえる。動物取扱業者とは、業として、継続反復してペット動物などの取扱い(販売、貸し出し、保管、訓練、展示など)を行い、飼養のための施設を有していることとされている。
動物を飼う場合、動物を買うことがほとんどであろう。流通ベースで見た2001年推定年間総生産数(犬・猫)は、約97800頭である。 しかし生産者から流通に回っているのは約88900頭で、流通割合は約91%である。流通されない1割弱は、病死などが理由に挙げられる。さらに動物飼育者に到達するのは、約77000頭である。流通しているうちの86%であり、そこまで到達しない1割強は、流通過程での病死や流通業者が繁殖用として確保することが理由として挙げられる。また、環境省のヒヤリングによると、犬・猫は推定年間約15万頭生産されているということで、そのうちの5万頭は流通しておらず、動物の命が粗末に誕生し、また粗末に消えていく傾向がある。
動物が様々な方法で取引されているが、その途中で動物が死んでいることが確認できる。主な流通形態は以下の図である。

図5−3 犬・猫流通業界の模式図
*業者は重複している場合あり
環境省HPより  http://www.env.go.jp/nature/dobutsu/aigo/pamf_rep/pdf/14_3.pdf
犬や猫においては特に、外国からの輸入は少なくなっている。以前は、外来種がブームであったため、輸入が大幅に増えていたが、現在では純血種を国内に取り入れ繁殖するパターンが増えていることもあり、今日本で飼われている動物は、外来種のほうが圧倒的に多い。 犬や猫など代表的な伴侶動物のほとんどは国内で生産されるが、国内流通の中でも、動物の死はある程度起こってしまう。しかし、これは、元々体が弱っていることが大きく関係している。動物の繁殖業者には、1計画的に繁殖させるとともに、幼齢の動物の安全を確保すること、2犬または猫は、社会性を獲得するまで親から離さないように配慮することを基準として定めている。 しかし、具体的な規制がなく、自己判断に任せられる部分があり、動物を健康に育てる目的が不明確で確実なものになっていない。


Bペット産業の問題・トラブル
生産者や繁殖業者は、トップブリーダーからにわかブリーダーまでいるが、特に監視が行き届きにくいのは、バックヤードブリーダー(自家繁殖家)やパピーミル(子犬の繁殖専門)などがある。趣味と実益を兼ねた犬の飼育繁殖というように宣伝されているが、これが飼育繁殖に対する考え方を歪めている。 先に述べたが、最近のペットブームに間に合わせるため、また更に飼いやすく可愛らしい犬種等を開発するため、健康状態の良くない動物が生まれている。欠陥動物の特徴は、近親交配 や無理な体格改造をするところである。犬の健康状態や遺伝疾患などを考慮せず、利益追求を第一目的としている。法律自体、産業に関して明確な規制が出来ておらず、また管理体制が整っていない。
野放しであった動物取扱業に対する法規制は、購入者との生体取引上のトラブルの多発や劣悪な飼養による生命の軽視されていたことから、法改正時に新たな3つの規制が設けられた。
第一に、責務の明確化があるが、罰則規定のない努力目標に留まる。購入者に対する必要説明と理解を得る趣旨だが、購入者に分かりやすい説明というのは曖昧である。購入時に行う説明は、販売者によって異なり、不十分であるのを指摘することが難しい。個人の責任と使用方法について、確実に伝えるべき事項をまとめ、産業に浸透させることが重要である。
第二に、届出制と遵守義務である。条例に基づく規制として、動物取扱業者は都道府県知事に届けなければならないとし、法律に基づき全国一律の届出制義務が課せられることとなった。また、動物の健康と安全を保持するため、施設や管理方法に関し環境省令で定める基準を遵守しなければならないとした。業務として繁殖販売を行う場合の届出制は当然である。社会的役割や責任を明確にするためであり、動物取扱業者が急増する現代では、地域の不浄化を防ぐため必要な規制となった。
第三に、行政指導である。基準遵守を確保するために、基準を遵守していないと認めた場合、期限を定めて飼養施設や管理方法などを改善すべきことを勧告することが出来、従わないときは、その勧告に係る措置をとるべきことを命ずることが出来るとしている。同様に基準遵守の実効性を担保するために、必要な報告を求め、職員がその施設に立ち入り検査することが出来る。高度経済成長期以前は動物取扱業者が少なく、動物は手間ひま掛け育成するもので、素人が手を出せる業種ではなかったが、それ以降動物生体の需要が確実に増大した。しかし、第一次ペットブームが利益のみを求める生産者を生み、バックヤードブリーダーなどのにわかブリーダーを発生させることになってしまった。しかしながら今はもはやブームではなく、動物の重要性に気づいた時期なのだと思う。これを取り扱う業者が不健全では愛護精神を根付かせるのは難しい。
現状では、確認される動物取扱業者だけでも7249 の業者があり、基準遵守の確認や適正飼育の普及は困難である。
繁殖する環境が劣悪で、動物の需要に間に合わせるために、近親交配を行うなど、生命の危険性を無視した増殖が行われている。給水のみで、健康管理、散歩、糞尿の始末を怠った最悪の現場で繁殖を行うという不適切なものも確認されている。また、動物病院における診療料金の不透明さや、医療ミスなども問題となり、動物で金儲けをすることが念頭に置く業者も少なくないという。
良心的な動物取扱業者が大多数を占めているが、そうでない業者が存在することも事実である。購入者に対し、病気であったとしても責任を取らない業者や、根拠のない飼育指導をしている業者も少なくない。また、子供が生まれれば高く買い取るなどと言葉巧みに動物を高い値段で買わせ、後生まれても言い訳をして買い取らないといった詐欺まがいの業者も確認されている。基礎知識を欠いている繁殖業者は、いかに優秀な雄雌を交配しても質の高い犬種になるとは限らない。安易な気持ちで繁殖を始めるブリーダーが増え、計画繁殖、系統繁殖、改良繁殖という根本的なことが難しくなってしまっている。


C適正社会の主軸となるペット産業
法改正されたとはいえ、このような具体的問題に対し、柔軟な対応が取れないでいる。規制を増やしていくだけで、産業としてあるべきモラルや姿勢、体制、責任追及が徹底されていないからである。法律や条令による規制は無論必要であるが、トラブルが起こってからの対応を具体化するだけでは、今後の動物愛護の姿勢には繋がらない。現状を打開する解決策は、動物愛護思想を高め、業者と個人の姿勢を正すことであると考える。
一般に動物の繁殖は、動物種の維持や発展を考えて行うべきであるのに、それが理解されていない。ブリーダーというのは、自然発生する雑種を目的にしているのではなく、動物種を維持することで販売する目的であるので、交配は十分に考えてから行うべきである。しかしながら、姿勢や体制がうやむやな状況で事業を立ち上げてしまうことで、真に生産者の意味を分からず業務が先行してしまう。行政からの指導とケア、立上時の条件や規制が成り立たないことが課題となっている。
イギリスではブリーダーが犬種に対するこだわりを持ち、繁殖に際し十分な知識や技術を生かしている。職に誇りを持っていて、動物と人間の良い環境づくりを視野に入れている。それは、すでにブリーダーを制限する法律があることから確認できる。1973年にイギリスで犬繁殖法が制定された。悲惨な状況での繁殖が確認され、犬の福祉を考えた結果に作られた法律である。ライセンス制度を導入し、ライセンスがなければ犬の繁殖を出来ないように規制した。ブリーダーのライセンス獲得のため、建物、広さ、従業者数、温度、証明、換気、清掃、設備、食餌、衛生管理状態を検査し、基準を満たす必要がある。委託された獣医師や技術者が監視員となり、稼働中に随時立入検査し、不適当と判断すれば改善を命令し、ライセンス永久剥奪になることもある。1991年は法律に改正が成され、立入検査を拒否した場合、人家以外の施設や敷地内へ、捜査令状による強制立入が出来るようになった。
日本でもこのような法律の必要性が増してきた。これは、業務確立後の結果や罰則に重点を置くのではなく、ブリーダーとしての資格を問うことで、業種として誇りを持ち、繁殖業に取り組む姿勢を見せることになる。自分の飼っている動物に子供を産ませたいと思っている人が、バックヤードブリーダーなどのにわかブリーダーになる傾向が強いが、適正な繁殖家になるとは言い難い。 第二次第三次ペットブームに便乗して、ペット産業は拡大し続けているが、動物にとっては健康や幸せはもとより、命が粗末に扱われる現状であり、人間にとっては、命を軽視することで、人心の荒廃を生んでいる。産業がよりよい姿勢やモラルを追求していくことで、動物と人間の在り方を正していくことが出来る。イギリスに習って、事前の適性検査や稼動時の調査を行い、あるべき産業の姿勢を確認していくことが重要である。それによって、利益追求や儲け目的など安易な理由で動物取扱業務をさせることを防ぎ、ペット産業の健全化に繋がると考える。
 多くの現代人が動物の大切さを理解しており、今の社会を動物にとっても住みやすい環境に変化させることは出来る。しかし、ブームという観点からみれば、ブームに便乗して生産する危険性をブリーダーが認識することが重要となってくる。個人の考え方を助長させているのは、産業であり、社会である。ブームから動物を飼うという理由に関しては、個人においても産業においても規制するべきであり、動物に対する入れ込みが薄いことは明白である。動物を育てることは、人間の子供を育てることと酷似しており、お金や時間や愛情や環境などの責任がついて回ることを、個人と産業の両者が自覚しなければならない。特に、動物繁殖の規制は緩く、産業設備の許可を得ると、その後のフォローアップが問われない実情がある。にわかブリーダーの増加により、不幸な動物が増えることを阻止する環境が求められ、従来からある産業に加え、新たな関連産業の出現によってトラブルは増大している。強い規制のないこの分野にこそ、法律とその運用が検討される。


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