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◆殺処分ゼロを目指す時◆

タイトル

「敗北主義的な思考の呪縛から身を解き放って」

Nathan J. Winograd氏の

アメリカ「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター」 (No Kill Advocacy Center)所長

紹介

日本における保健所、動物保護(愛護)センターにおいて、収容された動物たちの殺処分がゼロになる日の実現は、どうしたら可能になるのでしょうか? それとも、そのような願いは夢物語なのでしょうか?

殺処分ゼロ、つまり「ノー・キル」を巡っては、国内でも様々な動物愛護団体・個人がその実現を願い、活動をしていますが、困難を極めています。

毎年7〜8百万匹の犬猫が収容され、そのほぼ半数にあたる400万匹ほど(我が国の10倍以上!)が殺処分となるのを現状とするアメリカにおいても同様に、その達成は困難を極め、殺処分を容認せざるをえないのだ、という意見、殺処分ゼロを目指すことへの批判的とも言える意見さえ、アメリカでも有数な動物保護運動の団体を始め、現場で活動する人々の中からも発せられています。

しかし、そうした意見に対し、「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター(No Kill Advocacy Center)」 の所長である、Nathan J. Winograd氏は、ノー・キルは不可能なものではないと述べています。そして、ノー・キル(殺処分ゼロ)を無理だと主張する『敗北主義の思考』から我々自身を解き放そうと、具体的な実例と成果から、『敗北主義の思考』に陥っている人々の意見を検証していきます。

このたび、Nathan J. Winograd氏から翻訳の許諾を頂戴しながら、同氏のブログを、当サイトの賛同者であるmasatoさんのご協力によって、紹介させていただくことができました。

ぜひ、Nathan J. Winograd氏の著した記事から学び、我が国が殺処分ゼロの国になりますよう、明日からの活動にお役立てください。

なお、公平を期すと共に、「ノー・キル」を考察するうえで、比較対照し得る素材を皆さんに提供する趣旨で、次のページでは、『「ノー・キル」シェルターのメリットには疑問符が』
とした「USATODAY」の記事をご紹介します。

2007年10月16日

「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」管理人kanako

猫の主張

Nathan J. Winograd氏の紹介

nathan

「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター」 (No Kill Advocacy Center)の所長。
スタンフォード・ロースクールを卒業し、刑事事件の訴追や 企業関係の弁護活動に携わっていた。
サンフランシスコ動物虐待防止協会(San Francisco SPCA)の 事業部長や
トンプキンス郡動物虐待防止協会 (Tompkins County SPCA/ニューヨーク州)の事務局長を歴任した。
この2つの協会は、アメリカ国内で最も成功したシェルターに数えられる。
アニマルシェルター関連では米国内外で発言の機会を持ち、
動物保護関連の法律制定に於いては、州や国のレベルに亙り 関与している。
ノー・キル実現に向けたプログラムを考案し、都市部・地方郡部 の双方の環境下で成功を収めた。
米国内でも最大規模で著名な団体をも含め、様々な動物保護団体の相談に応じている。

( 参照:http://www.nathanwinograd.com/に掲載された著者略歴(前半部分)より

 →Author
 http://www.nathanwinograd.com/nathanwinograd_002.htm)

 

「敗北主義的な思考の呪縛から身を解き放って」

2007年8月28日(火)、Nathan J. Winograd氏のブログ記事より

過去5年間に亙り、米国の諸地域に所在する数箇所の 動物管理シェルターに於いては、「ノー・キル」(殺処分ゼロ)の原理が採用されると同時に、その原理を実現可能なものとするための様々なプログラムやサービスが導入されて来た。

その結果として、それらのシェルターでは、過去に例を見ない程の救命率が達成され、収容された全ての動物の内90%以上の命が救われつつある。

こうしたシェルターを擁する地域では、致死率は急降下し、 譲渡率が急上昇したばかりでなく、そのような好結果は極めて短期間(殆ど一夜の内にと言っても良いほど)の内に収められても来た。

このことが証明するのは、救命活動の成否と相関関係にあるのは、 ペットの頭数過剰云々の議論ではなく、寧ろ、各シェルターの 発揮するリーダーシップと実践の力量であると云うことなのだ。

動物愛護活動の歴史に於いて、このニュースの含意するものは 大きく、コンパニオンアニマルに関わる運動が目指す主要なゴールに到達し得たこと、つまり、救い得る動物の殺処分の停止が米国のシェルターで実現したことを窺わせるものだ。

400万匹以上の犬猫と数十万匹に及ぶ他の動物の命を救うための公式が見付かったと云うことだ。

我々は、この公式が米国中の全ての地域に於いて反覆実行されることが確実なものとなるよう、孜々として取り組むべきなのだ。

にも関わらず、この「ノー・キル」実践の成功は祝福の言葉では なく、一般的には、(失敗することを前提としているような) 牢固たる敗北主義的な思考と向き合うこととなって来た。

レスキュー団体や動物愛好家が、否定する側である場合さえ有る。 シェルターで年間に400万匹以上の犬猫と数十万匹に及ぶ他の動物 を殺処分する任にあたる国内のインフラを監督する立場にある官僚達の反応の仕方は、憂慮すべきものではあるが意外な要素は少ない。

その「リーダーシップ」・社会的立場・俸給・活動への資金調達 更には失敗例が、「ノー・キル」実践の成功例と直截に対比され 疑問を呈されるような仕儀となり、自己防衛のため官僚達は 「ノー・キル」に殴りかからんばかりである。

不幸なのは、この対立構図の代償をその命を以て支払うのが、 当の動物達であることだ。

驚くべきは、殺処分には何等の利害関係を持たず、自らは実質上 「ノー・キル」の側にある筈のレスキュー団体さえもが、 時として否定的な反応を示すことだ。

筆者が自著でペットの頭数過剰云々は神話に過ぎないと論じた際に申し上げたかったのは、みんな安心して良いと云うことでも、動物を無責任に扱う人は居ないと云うことでも、シェルターに収容される動物の数は多くないと云うことでも、シェルターに収容される動物の数が減るほど事態改善に結び付くという訳ではないと云うことでも、組織としてのシェルター自体が成功を阻むような阻害要因を抱え込んではいないと云うことでもない。


筆者がお伝えしたかったのは、この「問題」は克服不可能なものではないと云うこと、救い得る全ての動物を殺処分する以外に 今日から即刻実行出来る方法が有ると云うことである。

そのためには、実現への願望と意志を全てのシェルターが持し、 本気で最後まで実行することが前提となる。 これこそが吉報であり、祝福すべきニュースなのだ。

最短時間で最大限の殺処分率低減を達成するべく、我々が力を注ぐ動物愛護の活動が焦点を結ぶ先は、シェルターの決意と実行と云う部分に有る。

残念ながら、この「ノー・キル」運動に関わる人々の多くは、 その辞書に成功と云う言葉を持ち合わせておらず、目の前の「ノー・キル」成功事例が自らの居住地域では反覆実行し得ないとすることへの言い訳を頑固に捜そうとするばかりである。

如何なる情報を提供されようとも、「ノー・キル」の成功振りを示されようとも、彼らの答えは「当地では無理だ」のままだ。

「ノー・キル」に成功した地域か自らの居住地域かに関し、 他に類を見ない点や特異な事情を論らって他地域での成功を貶めつつ、自らの居住地域内のシェルターに収容される動物への有効策にはならないと申し立てたがるのだ。

それは、「ノー・キル」運動を始めもしない内から進歩の足を止めるばかりではなく、明らかに間違った行為なのだ。

1990年代半ばにサンフランシスコ市が、全市・全郡に亙って健康な犬猫を救うことにより成功を収めた折りには、現状維持に甘んじ「ノー・キル」運動成功の新たな台頭に脅威を感じた国中のシェルター所長や全国規模の大組織は、その成功は都市部でこそ可能なことであり、地方に於いては、(彼らの主張するところでは)その旧弊な動物観や貧困から無理な相談であると述べた。

地方のトンプキンス郡(ニューヨーク州)に在る全頭受け容れ型の動物管理シェルターで「ノー・キル」(救命率93%)が達成されると、彼らは、地方の場合と同様な理由から米国南部では無理であろうと述べた。

南部のシャーロッツビル市(バージニア州)に在る全頭受け容れ型の動物管理シェルターで「ノー・キル」(救命率92%)が達成されると、彼らは、住民や動物の流入による急激な人口増加とスプロール現象(都市郊外部の無秩序な拡大・開発)に直面する発展途上地域では無理であろうと述べた。

だがこの理屈も、米国で最も成長率の高い州内でも最高の発展地域のひとつであるリノ市(ネバダ州)が、1年足らずの内に殺処分率を50%以上の割合で降下させ譲渡率を倍加させたことにより反証された。

或るシェルター統括者が最近に主張したところによれば、動物救命を可能にしたのは、サンフランシスコ市の富裕な財政だと云うことになる。
が、そのような主張は、それまでの歴史と事実を無視して為されたものだ。

サンフランシスコ市の富裕な財政が動物救命を可能にしたのであり、そのような環境条件は財政不足の地域には及びもつかないと述べ立てるのは、数百万ドルの資金援助を享受するシェルター施設を擁する多くの都市地域に於いては、依然として健康な犬猫の殺処分が続いていると云う事実を無視している。

また、サンフランシスコの財政状況が実は信じ難いほどに貧しかったこと、サンフランシスコ動物虐待防止協会(当時は、市と交わす契約に基き、動物管理(収容・捕獲・処分その他)の職務も履行していた)の指導体制が刷新され、引き継いだ業務が目指す方向性を動物救命へと向け直し始めた折りには、財政破綻の瀬戸際にあったことを無視している。

更には、サンフランシスコ動物虐待防止協会がその後に見出した歳入の道は、一般社会が支持の声を上げて下さった「ノー・キル」成功の副産物(結果)であって、その出発点(原因)ではなかったと云う事実を無視している。

加えて、「ノー・キル」のプログラムの多く(不妊・去勢処置、一時預かり制度、レスキュー団体への動物移譲)が、実のところ殺処分に要する費用よりも安価であり、譲渡制度は歳入を齎すが殺処分制度には金が掛かると云う事実を視野に入れていない。

或る程度の成功を収めた各地域も、「ノー・キル」の運動原理を採用する以前の状況は、他の地域と同じく悪いものであった。

サンフランシスコのシェルターは「血の粛清場」と形容されていたし、サンフランシスコでのピット・ブル闘犬場の存在が、カリフォルニア州に於いて闘犬を重大犯罪とする法律の制定を導いた。

ニューヨーク州では、犬には犬小屋を与えることを定めた法律が成立するまでに数十年の時日を要した。

2002年以前のトンプキンス郡(ニューヨーク州)に於いては、零下25度にまで冷え込む気候条件にも関らず、犬を樹に繋留し厳しい戸外の環境から身を護る術を何も用意してやらなくとも違法ではなかった。

シャーロッツビル市(バージニア州)と同じくワシュー郡(郡都は、リノ市/ネバダ州)でも、郡内のシェルターは、収容動物の世話をする体制が冷酷なまでに欠けており、過剰に殺処分を行なうシステムであり、場合によっては収容動物への虐待が明白であった点が批判の対象とされていた。

が今では、これらの諸市では「ノー・キル」は達成されたか、僅かにもう一歩と云うところまで到達しているか、『「ノー・キル」への方程式』(No Kill Equation)のためのプログラムやサービスを実施し「ノー・キル」に向けて果敢に挑み始めたかの何れかが現状となっている。

何年にも亙り失敗を重ねて来た末に、動物の命を救うための能力を培うには時間が必要とはなるであろうが、そのことが、シェルターでの殺処分はそのシェルターでの慣習的行為の結果であって、「ペットの頭数過剰」云々ではないと云う事実を見失わせてはならない。

また、米国南部で「ノー・キル」成功の阻害要因を、動物の世話をするうえでの地方特有の配慮不足に求めるような議論は間違っており、エリート意識に毒された狭量なものであり、単なる言い訳の積み重ねにしか過ぎない。

そうした議論は、地方のトンプキンス郡での成功例や、南部のバージニア州に位置するシャーロッツビル市での大成功を無視している。
また、南ミシシッピ人道協会が調査した結果、費用が掛からないのであれば、69%の住民がそのペットに不妊・去勢処置を受けさせる意思を示したと云う事実(1人あたりの収入が米国で最低水準にあるミシシッピ州のような南部の州であれば意外な事実ではないが)にも反する議論だ。

つまり、シェルターが公営か民営か、都市部か地方か、南部か北部かと云うような設問には、結局のところ意味が無いのだ。

意味の有る唯一の問い掛けとは、そのシェルターが真に情に篤いスタッフを擁し、命を救うためのプログラムやサービスを厳格に実施すべく弛まずに働いているかどうかと云うことだ。

であれば、「全ての地域にはそれぞれ特有の事情が有る」とか、「該当する地域住民の無責任さの度合いは特別(或いは、特異)だ」と論らうのは、単なる言い訳にしか過ぎない。

意味の有る唯一の問い掛けとは、そのシェルターが、成功を収めた実績を有する唯だひとつの米国モデル(即ち、『「ノー・キル」への方程式』)を厳格に実施しているかどうかと云うことだ。

示された証拠が突き崩せないと見てとるや、失敗することばかりを説き続けてきた人々は、新たな戦術を取るようになって来た。

つまり、そうした人々は、その関与したシェルターに於いて『「ノー・キル」への方程式』を採用したが、「ノー・キル」は成功しなかったと言い立てたのだ。

が、成功しなかった理由は簡単明瞭。
該当のシェルターは『「ノー・キル」への方程式』を部分的にか制限付きかで実施したのかも知れないが、「ノー・キル」達成を目指して包括的に実施することをしなかったと云うことだ。

例えば、ペンシルヴェニア州では、その地の動物虐待防止協会が低所得者層向けに行なった無料の不妊・去勢処置の数は、200件以下(2004年)であった。

確かに、低コストで不妊・去勢処置のプログラムを実施したと誇ることは出来ようが、この200件の数字を、筆者が在職していた折りにサンフランシスコで実施された9000件の施術数(その84%は無料)と比べてみて頂きたい。

オースティン市(テキサス州の州都)のシェルターでは、一時預かり制度を検討したが、制度に与ることを許されたのはシェルター勤務者のみであった。

シェルター側は、当施設では一時預かり制度を実施していると言うことは出来ようが、それは、動物の命を救う営為に参加しようとする何千人もの動物愛好家達を締め出し、救い得る命の数を著しく抑制しておいてのことである。

キング郡(ワシントン州)のシェルターでは、地域の野良猫に対してTNRプログラム(Trap-Neuter-Return program/野良猫を捕獲し、不妊・去勢処置を施したうえで、生息地域に戻し、地域猫とする運動)を採り入れたとするが、地域猫となった印として耳に切れ目を入れた猫が敷地内に入り込んで来たら世話人に通知すると云った程度のものでしかなく、野良猫保護団体との関係も限定的で、TNRを標榜する団体と協働し、運動への参加を一般に呼び掛け動機付けをしながら、野良猫全ての不妊・去勢処置を包括的に実施し地域猫とすると云うようなものではなかった。

『「ノー・キル」への方程式』(※リンク先はpdf文書)を厳格且つ包括的に実施し、加えて、清掃作業や収容動物の躾けや世話に従事するスタッフが最高の実践力を具え説明責任を自覚することが、殺処分のストップを真摯に願う全てのシェルターに於いて、その実現を招来する鍵となる。

そのためのプログラムを実施し発展させて、殺処分が完全に撤廃されるまでにする必要が有る。

「ノー・キル」シェルターでは、親を失なった産まれて間も無い仔猫が収容された際には、時々ではなく毎回、一時預かり者の元に送り出す。

「ノー・キル」シェルターでは、レスキュー団体が収容動物に関与することを時々は認容すると云うには留まらず、譲渡を目的として然るべきレスキュー団体が収容動物の世話や管理をする意向を示す場合には、常にその申し出を受け容れる。

実のところ、「ノー・キル」シェルターは、或る収容動物(例えば、純血種)が特定のレスキュー団体の受け容れ基準に合致する場合には常に、そのような団体を積極的に捜し出すようにするのだ。

要するに、「ノー・キル」シェルターは、全ての収容動物に対し、殺処分を検討議題とすることはないと云うことだ。

例外は、回復の見込みが無いほどに病んだり負傷しているケースや、犬の場合であれば、本当に凶暴で人間との共生が可能と予測する材料に乏しいようなケースであり、全体の10%をかなり下回る割合を占めるに過ぎない。

また、シェルターが『「ノー・キル」への方程式』のためのプログラムやサービスを活用するのが時々であったり、都合の良さや政治的な損得勘定に左右されるのではなく、どの収容動物にも等しく、機会を洩らすこともなく活用すると云うことだ。中途半端な努力では足りない。


そのプログラムやサービスを列挙してみよう。

1 十全に機能するボランティアプログラム。
少なくとも住民10万人当たり300人のボランティアが、少なくとも週に一度、実際にシェルターで支援活動をする。
1 シェルター外の複数の場所に於いて、年中無休で実施される譲渡活動。
1 社会化訓練のためのプログラム(猫は少なくとも日に二度ケージから出す/犬は少なくとも日に三度散歩に連れ出し遊ばせる)。
1 医療や動物行動面でのリハビリテーション・プログラム(疾病を抑制し、健康状態を保ち、救命可能な場合には治療を施す)
1 十全に機能するTNRプログラム(殺処分の代替手段として、不妊・去勢処置をし生息地域に戻す/
「A Model Feral Cat Protocol」を参照のこと)。
1 全ての収容動物の内、25〜30%に達する数を送り出せる一時預かりプログラム(収容のピーク時には、これを超える率で)。
1 低廉もしくは無償で行なう不妊・去勢処置の機会提供(住民10万人当たりで最低でも1000件/注目すべきは、上述の地域での「ノー・キル」達成は、不妊・去勢処置に伴う環境が整う以前であったと云うことである)。
1 夜間や週末を含めた年中無休の譲渡事業プログラム
(好条件での譲渡を妨げるような恣意的なルールや規則を排除する/ 例えば、筆者の住まう地域のシェルターで見られたルールの如く、低年齢の子供が居る家庭には仔犬や仔猫の譲渡は禁止と云うような)。
1 謂わば死刑囚監房に入れられた動物を救うべく、然るべきレスキュー団体には常に白紙委任しその裁量に任せる。
1 飼い主がペットを手放す原因となる、動物行動・医療・環境に関わる諸条件を克服する手助けとなるようなアドバイスを電話を通じて提供するプログラム(関係者が忙しさにかまけて場当たり的に発するアドバイスとは一線を画した内容の助言/『アメリカ獣医師会機関紙』
(Journal of the American Veterinary Medical Association)の1996年版での調査研究によれば、このアドバイス提供が、ペット遺棄を94%もの割合で減少させるとのことだ)。
1 一般社会と良好な関係を保ち、シェルターの状況が公衆の目に止まるようにする。
1 顧客サービスの質を高く保ち、犬舎を清潔にし、ぞんざいな清掃作業や処理手順によって収容動物が罹患することを防止するべく、スタッフが説明責任を自覚する。
1 想像力に富み(情に篤く)勤勉な統括者の存在。
監督下のスタッフに責任を自覚させ、顧客サービスを良質なものとし、シェルターが清潔で問題対処に機敏な場とし、必要とあれば全てのケージや犬舎を埋め利用する用意が有ること。

殺処分による死や平凡な成果を擁護する敗北指向の批判者達の合唱を先取りし、「ノー・キル」は不可能だとか、予算が無いとか、自分の住まう地域の住民は協力的でないとか言い立てる前に申し上げよう。


そのような考え方は、謂わば「品質基準」と一般社会の寄せる期待値を余りに低く設定していることから生ずるに過ぎないと。


成功した地域は何処でも、上記のプログラムやサービスを実施して「ノー・キル」を達成したのであり、不妊・去勢処置が十全には機能しておらずとも、百万ドルの寄付が無くとも成功させたのである。


そして、水準達成に要した時間は極めて短いものであった− 公営シェルターでも民営でも、都市部でも地方郡部でも、北部でも南部でも同様に。

最後に、「譲渡では殺処分から脱け出せない」とする否定論者の言い分も真実ではない。


先ず第一に、シェルターに収容される動物全てが譲渡事業の恩恵を蒙る訳でもないし、その必要性も無いと云うことだ。

1 犬の場合はかなりの比率で、また確率は相当に低くなるが猫の場合でも、飼い主の元に戻される(シェルターの働き振りが良ければ、大まかに犬の20〜35%、猫の1〜3%が該当する。放棄されようとする動物とその家庭の間を再び結び付けることに多大な力を注いでいる或る郡では、その率は犬で54%、猫で6%に達した。このことは、飼い主への再返戻と云う見過ごされがちな救命方法に関し、まだかなり改善の余地が有ることを意味する)。
1 犬猫の一部は、レスキュー団体(レスキュー対象が、純血・雑種の双方を含めて)に移譲される(シェルターの働きが良ければ、13〜17%に相当する)。
1 犬猫の一部は、譲渡する年齢に達していなかったり、疾病・負傷・ 精神的外傷に起因する問題行動などのため、TLC(tender loving care/優しく愛情のこもった世話)が必要な場合には、一時預かり者の元に送られる。該当する動物は一時預かり者の元でリハビリを受けた後に、一時預かり先(フォスター・ペアレント)から譲渡されたり、シェルターに戻されたり(収容のピーク時で無ければ特に)、インターネットサービス(Petfinder・Pet Ark・1-800-Save-A-Petや、シェルター自体のウェブサイト)を介したり、シェルター外の複数会場を通じて譲渡される(猫の最大25%、やや低い比率の犬が該当する)。
1 猫の一部は野良のままで譲渡の必要は無い。該当する猫は不妊・去勢処置を施され生息地域に戻されたものである(最大で猫全体の約25%)。
1 僅かな比率の犬猫は、回復の見込みが無いほどに病んだり負傷していたり、犬の場合であれば、本当に凶暴で人間との共生が可能と予測する材料に乏しいと判断され、殺処分となる(最大で全収容動物の約8%)。
1 上記の残りが譲渡を必要とする。

譲渡に関しては、現時点でペットを亡くしたり逸走させた世帯の数に基けば、シェルターに収容される猫の数よりも多くの家庭が潜在的な受け容れ先として毎年調達出来るのであり、犬の場合であれば、収容数に倍する数の受け容れ家庭が潜在的に調達可能である。

言い換えれば、犬猫の平均寿命に基けば、現在シェルターに収容される犬猫の数を上回る数の家庭が、新たに犬猫を迎えようと考えている可能性が有ると云うことだ。

ペットを所有する家庭の数には変化が無いどころか増えつつあるのだから、収容動物と潜在的な譲渡受け容れ先との橋渡しが上手く行なわれれば、理論上は、不必要な殺処分は全て今直ぐに譲渡に置き換え得るのだ。

更に言い換えれば、譲渡事業に関してシェルターがより良い仕事振りを発揮すれば、収容数調節のために為される殺処分は今日にでも廃絶し得ると云うことだ。

これは、譲渡に際して謂わば市場となる家庭の数(つまり、現時点では犬猫を飼ってはいないが、その意志を有する家庭の数)が急速に拡大することを前提とはしていない。

シェルターが、譲渡市場に於けるシェアをほんの数ポイントアップさせれば、我が国は今直ぐにでも「ノー・キル」と成り得るのだ。

しかしながら、これらは可能性に留まっており、理論とは程遠いのが現状だ。

このために、動物問題への人道的な対応を標榜する地域では、寄る辺の無い動物達の為にシェルターで可能な最善の処置とは、一部を譲渡し残りを殺処分することであるとする考え方が認容されて来た。


そして、この処置への批判を回避し、微々たる譲渡数を正当化しようと、米国中のシェルターは、「譲渡数を増やすためには、シェルターが譲渡を認める家庭環境の質を落とす以外には無い」と云う神話を保持し続けて 来たのであり、家庭環境の質を落とせば、動物達は、虐待者やアニマル・ ホーダー(過剰多頭飼育者)の手に落ちたり、放置・無視される境遇に追いやられることになるだけではないのかと主張するのだ。

譲渡家庭の数を増やす為にその質を落とさなければならないとする思考法は、「高水準の収容数と殺処分率、低水準の譲渡率」との考え方の枠組みを正当化する術を(昔も今も)必要とする、守旧的で反動主義的なシェルターの時代錯誤の例を更にもうひとつ加えることになる。

「ノー・キル」運動が大量譲渡に注力していることと、これらの譲渡の質を落とすこととは無関係である。

譲渡数を増加させることが関わるのは、職を持つ人々や子供連れの家族が来園出来る時間帯には、シェルターを開放しておくことだ。

それは、収容動物をシェルターの外に運び出し、人々が働き生活し楽しむ場へと、そして複数の異なる場所へと連れ出すことを意味する。

譲渡数増加のためには、譲渡奨励金・一時預かりプログラム・レスキュー団体との協働に加え、地域内でのシェルター活動の露出度を高めること、コスト面でペットショップや仔犬・仔猫工場と競合すること、良質な顧客サービス、譲渡先の選別にあたっては配慮を行き届かせながらも過度に官僚的ではない対応、シェルターを訪れて楽しく心踊る場とすること、譲渡市場に於ける前向きなマーケティングと云った要素が含まれる。


言い換えれば、譲渡の出来高如何は、シェルターの運営手腕と直接に関係すると云うことだ。 要するに、眼の前には多数の家庭が控えているなか、手中の動物を効果的に「販売促進」し、その棲家を見付けてやれるか否かは、シェルターの力量次第と云うことになる。


これには、譲渡のためのイベントをシェルター外の複数の場所で毎日開くこと、創意工夫を凝らした「販促」活動、大規模なイベントの開催と云った営為が含まれる。


シェルターが収容動物をより上手く「販促」するのならば、譲渡先となり得る家庭の数を増やし、収容数調節のために為される殺処分作業は譲渡事業へと切り替えることが出来る筈なのだ。

国内での成功例を見てみると、サンフランシスコの例は別としても、上述のようなこと(好循環)が起こったのは、不妊・去勢プログラムが機能するより以前で、譲渡プログラムへの注力を通じてであった。


ワシュー郡(ネバダ州)の例では、40万人もの人口を抱えるなか不妊・去勢プログラムは全く普及していない条件下にあったにも関わらず、年間15000匹の犬猫を収容し、犬の90%以上・猫の80%近くの命を救っている。


殺処分される猫は、治療不可能な野良猫のみである。 一旦、TNRプログラムが導入され、説明責任の重視が動物管理局側に定着すると、猫の救命率は90%以上となろう。


これは、動物管理局の分を含めた郡内の総計であり、譲渡プログラムへの注力により1年足らずで達成された、殺処分数50%削減の結果である。


実のところ、猫の譲渡率は倍以上の伸び(105%)を示し、犬の譲渡率も90%を超える伸びとなっている。 これは、何れの組織もが見習うべき目標である。

「ノー・キル」運動の発端となるのは、組織のトップである。
シェルターが動かないのであれば、次のステップは一見して明らかだ。

指導体制の刷新である。

『「ノー・キル」への方程式』(No Kill Equation)のためのプログラムやサービスが鍵となるなか、方程式に於ける唯一の最重要要素は、勤勉で情熱に燃えた、 動物管理局やシェルターの所長であるからである。
そうした人物こそが、言い訳の背後に身を隠したり、責任を他人に負わせたり、 「収容動物は多過ぎるのに、受け容れ家庭は充分に揃わない」と云った使い古された常套句を繰り返すようなことをせずに、『「ノー・キル」への方程式』を包括的に実施しようとするのだ。

シェルターが収容動物で満杯となるのは、少なからず、飼っている動物に対してお座なりな態度をとる極く少数の人々の存在に起因するのは確かだ。

しかし、動物問題に関わる者が認識しておかなければならないのは、この世に無責任な人間は常に存在し、その結果として、救いの手や避難場所を必要とする寄る辺無い動物も常に存在するであろうと云う、否定し難い(率直に言って明白なる)現実だ。

何時か全ての人が責任を以て動物の世話をするようになる未来が訪れた時に初めて、棲家の無い動物達の殺処分には終止符が打たれ得ようとするのは、非現実的で実現不可能な考え方であり、今この時にもシェルターに収容されつつある動物達に対する火急の責務遂行に違背するものである。

しっかりと世話をする能力や意志が両親に欠けているために、親に替わって世話をする先やそうした場の斡旋を必要とする人間の孤児が常に存在するのと全く同様に、コンパニオンアニマルの世話をする能力や意志に欠けた人々は常に存在するのだ。

アニマルシェルターが動物のためのセイフティネットである筈なのは、児童養護施設・里子養育制度・児童保護サービスが、親の無い子供や虐待を受けた子供のためのセイフティネットであるのと同様だ。

こうした動物達の窮状に対し、単にその数や飼い主不在振りを知るに留まらず、我々がどのように対処をするかで、その生死は決まるのだ。


こうした動物達の窮状に対し、我々がどのように対処をするかで、その生死は決まるのだ。単にその数の多さや飼い主の居ないことが問題なのではない。

人々が動物を引き渡す先はシェルターだが、そのシェルターが殺処分を行なう場であるのが現状だ。
(が、そうしたシェルターに引き渡す行為について)誰もその真似をしたり、許しを与えたりする必要は無い。

そのことは、救い得る動物の殺処分に既に終止符をうった地域社会の例が証明している。

また、「ノー・キル」成功までの経緯は、寄る辺無い動物達の苦境に対して、人々が冷淡で思い遣りに欠けるとする見方は全く間違っていることを教えてくれる。

「ノー・キル」の成功は、その地域の参与無しには成し遂げられ得なかったであろう。
「ノー・キル」を目指す地域のシェルターは、再三に亙って地域住民に援けを求め、住民は「ノー・キル」運動を支えるべく、その心と財布を開き家庭のスペースを開放しながら、絶大なる思い遣りの精神で繰り返し応えたのだ。

全ての地域には愛情と気遣いの心が充分に有り、少数者の無責任な行いを乗り越えるのだ。

動物愛護に関わる者達が、シェルターで動物が殺処分される理由や背景について理解の幅を拡げ、殺処分を正当化する言い訳を受け容れることを止め、その主張を然るべく整える時節は到来した。

動物保護運動は精神的な勇気を体得し、シェルターの運営方法を変えることを肯んじない所長や、殺処分を正当化するアメリカ動物愛護協会(HSUS)のような全国組織のみならず、我々の直ぐ傍にも居る否定論者達−事実を無視し(或いは、故意に知らないままでいようとし)、殺処分続行に必要な大義名分を時代逆行のシェルター所長に提供するようなお題目(「当地では無理だ」)を繰り返して、敗北的思考を擁護する者達−に立ち向かわねばならない。

殺処分を指向するシェルターの指導体制に取って代わり、アメリカ動物愛護協会のような組織団体をボイコットし、否定と失敗を響かせる声を封じながら、我々は、「ノー・キル」が現状を克服するための道を開くのだ。

克服へのこの道は、不必要に且つ余りにも頻繁に動物達が直面している現状−終着点としての死−に替わり、我が国のシェルター施設に収容される動物達に新たなスタートを齎すものなのである。

著者◎Nathan J. Winograd氏
Unshackling Ourselves from the Voices of Defeatismより
翻訳○masato氏

 

ブログ記事中でも言及されている団体の
ウェブサイト参照先

No Kill Advocacy Home Page
http://www.nokilladvocacycenter.org/

The San Francisco SPCA
http://www.sfspca.org/home.shtml

Tompkins County SPCAonline Homepage
http://www.spcaonline.com/

 

Nathan J. Winograd氏への謝辞

To Mr. Nathan J. Winograd,
We greatly appreciate your generous permission to translate your instructive blog entry, which we believe is full of information and insights based on your valuable experiences as one of the most vigorous and committed advocates of No Kill policy in the USA.
We hope your blog entry here translated (and your newly-published "Redemption", for that matter) will help stimulate willing directors and staffs of public animal-related facilities (Animal Care & Control Center, etc.) as well as interested lawmakers and public officials (local and national alike) along with many animal rescuers and volunteers here in Japan, while illuminating the path which will lead to the long-awaited breakthrough in the animal-related status quo of this country.

【Nathan J. Winograd氏の著書の紹介

著書

REDEMPTION

2007年9月新刊
『Redemption
The Myth of Pet Overpopulation and the No Kill Revolution in America』

「No Kill運動のバイブル」と呼ばれている本です。お求めは↓から・・・。
●Amazon.com:(英語)
 Redemption: The Myth of Pet Overpopulation and the No Kill Revolution in America
 
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 Redemption: The Myth of Pet Overpopulation and the No Kill Revolution in America

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『「ノー・キル」シェルターのメリットには疑問符が』
とした「USATODAY」の記事をご紹介します。

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2007年10月16日UP!

「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」kanako

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