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◆殺処分ゼロを目指す時◆
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「敗北主義的な思考の呪縛から身を解き放って」 Nathan J. Winograd氏の アメリカ「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター」 (No Kill Advocacy Center)所長 紹介 |
日本における保健所、動物保護(愛護)センターにおいて、収容された動物たちの殺処分がゼロになる日の実現は、どうしたら可能になるのでしょうか? それとも、そのような願いは夢物語なのでしょうか? 殺処分ゼロ、つまり「ノー・キル」を巡っては、国内でも様々な動物愛護団体・個人がその実現を願い、活動をしていますが、困難を極めています。 毎年7〜8百万匹の犬猫が収容され、そのほぼ半数にあたる400万匹ほど(我が国の10倍以上!)が殺処分となるのを現状とするアメリカにおいても同様に、その達成は困難を極め、殺処分を容認せざるをえないのだ、という意見、殺処分ゼロを目指すことへの批判的とも言える意見さえ、アメリカでも有数な動物保護運動の団体を始め、現場で活動する人々の中からも発せられています。 しかし、そうした意見に対し、「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター(No Kill Advocacy Center)」 の所長である、Nathan J. Winograd氏は、ノー・キルは不可能なものではないと述べています。そして、ノー・キル(殺処分ゼロ)を無理だと主張する『敗北主義の思考』から我々自身を解き放そうと、具体的な実例と成果から、『敗北主義の思考』に陥っている人々の意見を検証していきます。 このたび、Nathan J. Winograd氏から翻訳の許諾を頂戴しながら、同氏のブログを、当サイトの賛同者であるmasatoさんのご協力によって、紹介させていただくことができました。 ぜひ、Nathan J. Winograd氏の著した記事から学び、我が国が殺処分ゼロの国になりますよう、明日からの活動にお役立てください。 なお、公平を期すと共に、「ノー・キル」を考察するうえで、比較対照し得る素材を皆さんに提供する趣旨で、次のページでは、『「ノー・キル」シェルターのメリットには疑問符が』 2007年10月16日 「日本にアニマルポリスを誕生させよう!」管理人kanako
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Nathan J. Winograd氏の紹介
「ノー・キル(殺処分ゼロ)推進センター」 (No Kill Advocacy Center)の所長。 ( 参照:http://www.nathanwinograd.com/に掲載された著者略歴(前半部分)より →Author:
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「敗北主義的な思考の呪縛から身を解き放って」 2007年8月28日(火)、Nathan J. Winograd氏のブログ記事より |
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過去5年間に亙り、米国の諸地域に所在する数箇所の 動物管理シェルターに於いては、「ノー・キル」(殺処分ゼロ)の原理が採用されると同時に、その原理を実現可能なものとするための様々なプログラムやサービスが導入されて来た。 その結果として、それらのシェルターでは、過去に例を見ない程の救命率が達成され、収容された全ての動物の内90%以上の命が救われつつある。 このことが証明するのは、救命活動の成否と相関関係にあるのは、 ペットの頭数過剰云々の議論ではなく、寧ろ、各シェルターの 発揮するリーダーシップと実践の力量であると云うことなのだ。 動物愛護活動の歴史に於いて、このニュースの含意するものは 大きく、コンパニオンアニマルに関わる運動が目指す主要なゴールに到達し得たこと、つまり、救い得る動物の殺処分の停止が米国のシェルターで実現したことを窺わせるものだ。 にも関わらず、この「ノー・キル」実践の成功は祝福の言葉では なく、一般的には、(失敗することを前提としているような) 牢固たる敗北主義的な思考と向き合うこととなって来た。 驚くべきは、殺処分には何等の利害関係を持たず、自らは実質上 「ノー・キル」の側にある筈のレスキュー団体さえもが、 時として否定的な反応を示すことだ。 筆者が自著でペットの頭数過剰云々は神話に過ぎないと論じた際に申し上げたかったのは、みんな安心して良いと云うことでも、動物を無責任に扱う人は居ないと云うことでも、シェルターに収容される動物の数は多くないと云うことでも、シェルターに収容される動物の数が減るほど事態改善に結び付くという訳ではないと云うことでも、組織としてのシェルター自体が成功を阻むような阻害要因を抱え込んではいないと云うことでもない。
残念ながら、この「ノー・キル」運動に関わる人々の多くは、 その辞書に成功と云う言葉を持ち合わせておらず、目の前の「ノー・キル」成功事例が自らの居住地域では反覆実行し得ないとすることへの言い訳を頑固に捜そうとするばかりである。 1990年代半ばにサンフランシスコ市が、全市・全郡に亙って健康な犬猫を救うことにより成功を収めた折りには、現状維持に甘んじ「ノー・キル」運動成功の新たな台頭に脅威を感じた国中のシェルター所長や全国規模の大組織は、その成功は都市部でこそ可能なことであり、地方に於いては、(彼らの主張するところでは)その旧弊な動物観や貧困から無理な相談であると述べた。 南部のシャーロッツビル市(バージニア州)に在る全頭受け容れ型の動物管理シェルターで「ノー・キル」(救命率92%)が達成されると、彼らは、住民や動物の流入による急激な人口増加とスプロール現象(都市郊外部の無秩序な拡大・開発)に直面する発展途上地域では無理であろうと述べた。 だがこの理屈も、米国で最も成長率の高い州内でも最高の発展地域のひとつであるリノ市(ネバダ州)が、1年足らずの内に殺処分率を50%以上の割合で降下させ譲渡率を倍加させたことにより反証された。 或るシェルター統括者が最近に主張したところによれば、動物救命を可能にしたのは、サンフランシスコ市の富裕な財政だと云うことになる。 サンフランシスコ市の富裕な財政が動物救命を可能にしたのであり、そのような環境条件は財政不足の地域には及びもつかないと述べ立てるのは、数百万ドルの資金援助を享受するシェルター施設を擁する多くの都市地域に於いては、依然として健康な犬猫の殺処分が続いていると云う事実を無視している。 また、サンフランシスコの財政状況が実は信じ難いほどに貧しかったこと、サンフランシスコ動物虐待防止協会(当時は、市と交わす契約に基き、動物管理(収容・捕獲・処分その他)の職務も履行していた)の指導体制が刷新され、引き継いだ業務が目指す方向性を動物救命へと向け直し始めた折りには、財政破綻の瀬戸際にあったことを無視している。 更には、サンフランシスコ動物虐待防止協会がその後に見出した歳入の道は、一般社会が支持の声を上げて下さった「ノー・キル」成功の副産物(結果)であって、その出発点(原因)ではなかったと云う事実を無視している。 加えて、「ノー・キル」のプログラムの多く(不妊・去勢処置、一時預かり制度、レスキュー団体への動物移譲)が、実のところ殺処分に要する費用よりも安価であり、譲渡制度は歳入を齎すが殺処分制度には金が掛かると云う事実を視野に入れていない。 或る程度の成功を収めた各地域も、「ノー・キル」の運動原理を採用する以前の状況は、他の地域と同じく悪いものであった。 サンフランシスコのシェルターは「血の粛清場」と形容されていたし、サンフランシスコでのピット・ブル闘犬場の存在が、カリフォルニア州に於いて闘犬を重大犯罪とする法律の制定を導いた。 ニューヨーク州では、犬には犬小屋を与えることを定めた法律が成立するまでに数十年の時日を要した。 シャーロッツビル市(バージニア州)と同じくワシュー郡(郡都は、リノ市/ネバダ州)でも、郡内のシェルターは、収容動物の世話をする体制が冷酷なまでに欠けており、過剰に殺処分を行なうシステムであり、場合によっては収容動物への虐待が明白であった点が批判の対象とされていた。 が今では、これらの諸市では「ノー・キル」は達成されたか、僅かにもう一歩と云うところまで到達しているか、『「ノー・キル」への方程式』(No Kill Equation)のためのプログラムやサービスを実施し「ノー・キル」に向けて果敢に挑み始めたかの何れかが現状となっている。 何年にも亙り失敗を重ねて来た末に、動物の命を救うための能力を培うには時間が必要とはなるであろうが、そのことが、シェルターでの殺処分はそのシェルターでの慣習的行為の結果であって、「ペットの頭数過剰」云々ではないと云う事実を見失わせてはならない。 また、米国南部で「ノー・キル」成功の阻害要因を、動物の世話をするうえでの地方特有の配慮不足に求めるような議論は間違っており、エリート意識に毒された狭量なものであり、単なる言い訳の積み重ねにしか過ぎない。 そうした議論は、地方のトンプキンス郡での成功例や、南部のバージニア州に位置するシャーロッツビル市での大成功を無視している。 つまり、シェルターが公営か民営か、都市部か地方か、南部か北部かと云うような設問には、結局のところ意味が無いのだ。 意味の有る唯一の問い掛けとは、そのシェルターが、成功を収めた実績を有する唯だひとつの米国モデル(即ち、『「ノー・キル」への方程式』)を厳格に実施しているかどうかと云うことだ。 示された証拠が突き崩せないと見てとるや、失敗することばかりを説き続けてきた人々は、新たな戦術を取るようになって来た。 例えば、ペンシルヴェニア州では、その地の動物虐待防止協会が低所得者層向けに行なった無料の不妊・去勢処置の数は、200件以下(2004年)であった。 確かに、低コストで不妊・去勢処置のプログラムを実施したと誇ることは出来ようが、この200件の数字を、筆者が在職していた折りにサンフランシスコで実施された9000件の施術数(その84%は無料)と比べてみて頂きたい。 シェルター側は、当施設では一時預かり制度を実施していると言うことは出来ようが、それは、動物の命を救う営為に参加しようとする何千人もの動物愛好家達を締め出し、救い得る命の数を著しく抑制しておいてのことである。 『「ノー・キル」への方程式』(※リンク先はpdf文書)を厳格且つ包括的に実施し、加えて、清掃作業や収容動物の躾けや世話に従事するスタッフが最高の実践力を具え説明責任を自覚することが、殺処分のストップを真摯に願う全てのシェルターに於いて、その実現を招来する鍵となる。 |
殺処分による死や平凡な成果を擁護する敗北指向の批判者達の合唱を先取りし、「ノー・キル」は不可能だとか、予算が無いとか、自分の住まう地域の住民は協力的でないとか言い立てる前に申し上げよう。
最後に、「譲渡では殺処分から脱け出せない」とする否定論者の言い分も真実ではない。
譲渡に関しては、現時点でペットを亡くしたり逸走させた世帯の数に基けば、シェルターに収容される猫の数よりも多くの家庭が潜在的な受け容れ先として毎年調達出来るのであり、犬の場合であれば、収容数に倍する数の受け容れ家庭が潜在的に調達可能である。 このために、動物問題への人道的な対応を標榜する地域では、寄る辺の無い動物達の為にシェルターで可能な最善の処置とは、一部を譲渡し残りを殺処分することであるとする考え方が認容されて来た。
「ノー・キル」運動が大量譲渡に注力していることと、これらの譲渡の質を落とすこととは無関係である。
国内での成功例を見てみると、サンフランシスコの例は別としても、上述のようなこと(好循環)が起こったのは、不妊・去勢プログラムが機能するより以前で、譲渡プログラムへの注力を通じてであった。
「ノー・キル」運動の発端となるのは、組織のトップである。 指導体制の刷新である。 シェルターが収容動物で満杯となるのは、少なからず、飼っている動物に対してお座なりな態度をとる極く少数の人々の存在に起因するのは確かだ。
また、「ノー・キル」成功までの経緯は、寄る辺無い動物達の苦境に対して、人々が冷淡で思い遣りに欠けるとする見方は全く間違っていることを教えてくれる。 動物愛護に関わる者達が、シェルターで動物が殺処分される理由や背景について理解の幅を拡げ、殺処分を正当化する言い訳を受け容れることを止め、その主張を然るべく整える時節は到来した。 殺処分を指向するシェルターの指導体制に取って代わり、アメリカ動物愛護協会のような組織団体をボイコットし、否定と失敗を響かせる声を封じながら、我々は、「ノー・キル」が現状を克服するための道を開くのだ。 著者◎Nathan J. Winograd氏
ブログ記事中でも言及されている団体の ◎No Kill Advocacy Home Page
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Nathan J. Winograd氏への謝辞 To Mr. Nathan J. Winograd, |
【Nathan J. Winograd氏の著書の紹介
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